トロピカル墓場

好きなものは好きだからしょうがない!!

『#imaginary創刊号 』感想

死ぬほど風が強くて北村諒さんと田野アサミさんが結婚発表をして、それでも生活しなければならないので最寄駅のそばにあるショッピングモールに出かけたら、書店で『imaginary』が販売されていた。取扱店をネットで確認するも掲載されていなかったのでSR(スーパーレア)に立ち会ったのかもしれない。

わたしが住んでいる場所は、めちゃくちゃ田舎なことを筆頭にとにかく嫌だと思うことが多くて、早く脱出したい、引越したいと毎日思っている。でも『imaginary』を誰かの手に取ってもらいたいと考えて入荷する書店員の方がこの地にいる、ということだけでとても嬉しくなってしまった。誰かもわからないその人へ「ここにいるよ」というレスポンスがしたくて、通販で買っていたけどもう1冊購入した。

 

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編集長お2人の存在は知りつつも、創刊を知ったのはオモコロ編集長の原宿さんきっかけだったので、2人のインターネットで見れるもの以外の「論じる」文章を見るのは初めてでした。全部リアルですごかった。

誌面で取り上げられるインタビューは特に水野しずさんの問題提起するテキストが、陳腐な表現しかできないけど読んでいて魂だけが走り出してしまうような感覚になった。肉体を置き去りに思考と“知”への欲求の胎動が止まらなくなる。

すごく個人的だけど見田宗介の『社会学入門』を読んだ時と同じ感覚でした。空や地面のようにそこにあることを当然に受容していたものが何かで編まれてできていることに気づき、それがほどけていくのを眺めるような気持ち。

お前の叫びはお前のもので
弁護は出来ても代弁は出来ない
同じく俺の怒りや痛みは俺だけのもんだ
誰も触るな

「鍵垢富豪」を見て連想したもの(ヒプノシスマイク)。

「行こうぜ!国会図書館」の「おわりに」は一文一文にぐっときました。知識は誰にとっても人生の味方。(わたしは大正時代が舞台のBLゲームの感想を書くために国立国会図書館に資料を見に行きました)

深夜32時のパーティーのコピバン(?)で笑う。

もっともっとたくさんあるけど今これ以上言葉にすると安っぽくなってしまいそうだ。

 

B4サイズの巨大な誌面が全然読み終わらなくて(写真やイラストも大きくてパワーがあり……)さらにぐさぐさと刺してくる言葉とそれに対する自分の気持ちと格闘するのはとても時間がかかって苦しくて楽しかった。雑誌でそれができること、そういう雑誌を企てる人が同時代に生きていることが本当に嬉しくなってしまった。

雑誌という物質としての確かさが嬉しい。音楽が(メディアそのもの、パッケージのデザインなどの姿で)物として存在していることが好きでBandcampでフィジカルを購入する行為に通じると思った。

そして中学生の頃『KERA』の原宿ストリートスナップを読んでいた感覚を思い出しました。ファッション雑誌は自分と違う世界のライフスタイルの写真集だと思っており、最近はリアルな情報がないものをアイドルの写真目当てか美容院のdマガジンでぺらぺらと読むことしかしなくて、でもあの頃は自分のファッションに全く還元しないのに一言一句見落とさないように必死に目で追っていた。

教科書を読むように受容するのではなく(「泥棒」になるのではなく)時間をかけて、頑張って自分の言葉で応答したい。何度も読み返して、その度にぶつけられたエネルギーを何かで発露したくてたまらなくなり、何かをしたい!