トロピカル墓場

好きなものは好きだからしょうがない!!

本能バースト演劇「sweet pool」#スプステ 感想

 もはや作品の感想ですらない部分もあるのですが、にわかボブゲファン・舞台が好きなオタクの感想です!

 わたしは舞台俳優ファンをしていた時期もあり、紆余曲折あって、とりあえず舞台が好きなオタクでした。でも2020年に自分が大好きな舞台やライブの状況、また現場に対する価値観そのものが突然大きく変化してしまったことについていけなくて、どうしようもなく落ち込んでしまった。ぎりぎりの状況で公演がおこなわれても、どうしても劇場に足を運べなくなった。そんな中で、ちょうど1年ほど前にsweet poolをプレイしました。好きと手放しで言える作品ではないことは、スプステを観たすべての人がわかっていると思うけど、大げさではなく一生忘れられないくらい特別になった。

 どうしてなのかわからないけど、鬱々としたメンタルの時に鬱々としたものに救われることがあって、自分にとって舞台作品とsweet poolがそれでした。だから舞台化が発表されたとき、怖!と思った。かなり重い作品なので覚悟を決めないと大変そうという気持ちもあったし、新参者だからおそれおおいもいいところだけど、舞台もsweet poolも自分にとって大切だから、そこを剥き出しの状態で触られるような不安があって怖かった。それでも、何があっても絶対に行きたかった。

 劇伴を聴いてもうめき声を上げないように(出禁になる)サントラを聴いて心臓を鍛えて、ずっと緊張していた。2年近く現場に行けていないこともあって本当に緊張した!

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 劇場に向かう途中乗り換えの駅でラキドの広告があった。

 

 「柿喰う客」はじめ中屋敷さんが手がけられた他作品を見た時、テンポのよさが特徴だと思ったので、原作をプレイした時の泥をかきわけるような印象とどう化学反応を起こすのか気になっていました。初見ではスピード感ある展開に感情が追いつくか少しハラハラしていたけど、舞台でのテンポ感、舞台でのsweet poolの世界に入ってしまったら、もう虜でした。三人称視点の文章で温度感が抑えられていたのが、舞台では登場人物が感情を爆発させていて、生きている人間の物語として生々しく受け止められた。プレイ時は自分がすっからかんになるところで終わっていたのが、それを超えて与えられたというか、自分が何かを受け取れた感覚があって……自分の中のsweet poolが、また動き出した感じがします。

 ウィッグが綺麗!

 トイレで化学室の噂を想起するシーンで睦が横切ったりするのが舞台だぞという感じで、その演出がふんだんに使われていてよかった。照明と影が印象的に使われていて面白い。善弥の校門のシーン・電車・2人が絡み合うシルエットとか、科学室の自慰シーンで明滅する蛍光灯が好き。

 サブキャラ俳優陣が演劇のにおいをまとっているので、すごくしっかりと世界が支えられている感じがした!

 枝里香の病室のシーンは、時間がゆっくりに感じられるくらい、蓉司が唯一の肉親とだけ通じ合う時の空気が確かに流れていて涙が出た。枝里香も蓉司と2人きりで生きてきた人で……それでも生きてきた中で大切な人ができて、母になった彼女の、うまく言えないけど強さと優しさが、あのシーンではいっぱいに伝わってきた。

 姫谷は後述しますが、渋くてかっこよくて声もよくてすごくよかった……!

 邦仁は、ちゃんと転落を感じさせるような狂気があった。邦仁が作品の強固な世界観をつくりあげていて、ちゃんと舞台だぞという感じがしてすごくよかった……。

 上屋はたまにガチで浅野要二の時がある。語りも台詞も多いけれど、それを感じさせないくらいにすごく聞き取りやすい。学校パートではいい感じに力が抜けていて、気持ち悪くて嫌な大人の自由なる民パートとのギャップがよかった。さらっと演じられているけど、彼もしっかり作品の世界観をつくっていてすごい。バイト帰りの帰宅シーンの語りが好き。

 

  • 善弥ルート

 善弥√、というか善弥については話したいことが一番多いかもしれない。

 まず、原作をプレイした時に善弥について何も考えられていなかったことに気づいた。完成されたストーリーに圧倒されて、キャラについて全然理解できてなかったし、理解しようとしていなかった。心が動く展開はあれど、「電波っぽい性格」みたいに手の届きやすい言葉のままおざなりにしていたことに気づいて、めちゃめちゃショックを受けました。そしてわたしができなかった彼への理解を、宇野さんがやっているように感じて、ものすごく尊く思えた。絵柄に体型を近づけるためにトレーニングをおこなったという宇野さん、原作をプレイしたという宇野さん、緑川光の声色を研究する宇野さん……おい……宇野さん√が……(宇野さん√!?)

 善弥は、不完全なできそこないの体のせいで愛されたことがなくて、自分で自分を呪いながら生きていた。愛されたことがないから「同じ」だった蓉司をうまく愛することができず、愛を返してもらえない。姫谷の気持ちをうまく受け取ることもできない。善弥にとっては「幸せ」なセックスを繰り返しても、それは内なる存在の本能でしかないかもしれなくて……結局大嫌いな自分の体の運命に従っているだけで、だから「辛い」んだと思いました。

 感情の起伏や幼少期の演技などの振れ幅が大きい役なのに、しなやかに演じられていてすごかった!善弥が生きていた。怒声にちゃんと感情が載ってるのに全然ストレスを感じなかった。

 姫谷に舐めさせるシーンがすごく艶めかしかった。善弥の指の絡み、蠱惑的な仕草。上手でそのシーンがおこなわれている時下手では邦仁が祈りを捧げていて、そのインモラルな光景にクラクラしました。あのシーンでファスナーを上げて捌けていくのが、メタファーにメタファーが重なりすぎて助けて~~~!となりました。

 EDのダンスが好きです!邦仁に中指を立てる振付は宇野さんの提案らしく、宇野さん√~!(宇野さん√!?)となってしまった。

 

  • 睦ルート

 自分の中の杉江さんのイメージと睦の明るさが共通していたので、すごくキャスティングに納得がいっていたキャラだった。目が大きくて顔が小さくて手足が細くて、すごい。だからこそ、どんどん狂っていくさまを見ることしかできないのが怖かった。原作をプレイしたときに一番辛いと思ったキャラが睦だったので、一番ハラハラした公演でもあった。

 激情に次ぐ激情で、√に入ってからは見ていてきつかった部分がかなり多くて……それを毎公演演じ切って、それ以外では臆せずにアドリブをぶち込んで、少しでも新しいものを届けようとしている杉江さんはすごい。あと、初めて名前で呼び合う回想シーンの挟み方で泣きそうになりました。悲劇的な要素がより強く感じられた。

 原作プレイ時は、睦が蓉司の肉を口にする展開に圧倒されまくっていたんだけど、善弥と同じく舞台を通してキャラクターへの理解が深まりました。睦が蓉司と哲雄を見て感じていた疎外感から、「同じ」になりたくて、そっち側へ行きたくて、肉体から1つになろうとしたのだと感じました。

 EDのダンスの構成がすごかった。それから睦√千穐楽の杉江さんの挨拶がすてきでした。

 

  • 哲雄ルート

 哲雄、めちゃくちゃ哲雄で……ビジュアルや声のよさもなんだけど、あの初めて会話するシーンの気まずさとか、温度がわからないような目つきとか、すごく哲雄らしかった。どんな時でも蓉司の髪を撫でる手つきは優しかった。トイレの平手と「大人しくしてろ」めちゃくちゃ好きです。スプステで一番好きな暴力です!

 原作をプレイした時は、“終わり”に向かっていく予感から、どこか不安な気持ちで見ていた睦の病室のシーン。すごくハートフルで、胸がいっぱいになって涙が出た。

 正直、初見の善弥√では、そういうシーンで俳優さんがあられもない姿をしていることに恥ずかしさ・いたたまれなさがあったんだけど、実際見たら全力でやっているからすぐにこっちも全力で受け取ろうと思えた。哲雄√の、特に部屋でのセックスの表現は、(その他のシーンがほぼ無理矢理というのもあるけど)2人の気持ちが通じ合っているのが身体の表現から伝わってきて圧倒された。綺麗だった。哲雄が蓉司を抱えたりする動作が、哲雄の力だけでやっているように見えてすごい。見入ってしまった。

 儀式シーンでの蓉司の怯え、善弥の感情の入り具合、姫谷の絶望と緊張感、姫谷が善弥の名前を呼ぶ際のカタルシスは、それだけでこの舞台を生で見られてよかったと感じるくらいのものだった。善弥の死は、原作では凄惨さを受け止めるのでいっぱいいっぱいだったけど、舞台ではそこに凄惨さ以上のものを感じた。善弥は死をもって、自分に呪いをかけていた体から解放されて、やっと邦仁の意志でも内なる存在の意志でもない域に達することができたのだろうか。それでも世界は生きている人間の物語なので、残された姫谷が「生の光を奪われた」と考えるのであれば、悲劇であることに変わりはないのかもしれないけど。

 どのENDをやるのか予想はしつつ、知らないまま行ったのですが、最後の2つの選択肢の前にブルーの照明が会場全体を照らしていって鳥肌が立ちました。屋上のシーンで、夕日がオレンジからどんどん深く赤く、そして青みがかっていくのがすごく綺麗で、ずっと涙が止まらなかった。「生きたい。もう一度名前を呼んでほしい」の、櫻井さんの涙で濁った声を聞いて、もう歯を食いしばって震えながら耐えていた。

 EDのダンスの善弥の表情がずるい。微笑んでいるようにも泣いているようにも見えるのがずるい。ロザリオを触る仕草も、VLGの歌詞とか、自由なる民に最期に中指立てたのか、とか……色々考えて、哲雄√でも善弥から目が離せなかった。

 すぐに自分の好きな言葉を用いてしまうけど、sweet poolのグランドEDは、どうしようもない運命を呪いながら、どんな形でも、それでも生きたいと願う人間の物語でもあったから好きになったのかもしれないと思いました。少なくとも、1年前にこの物語にどうしてこんなに胸を打たれたのか、その答えに繋がるきっかけを、何か少しでも今回の舞台を通して自分の中に見つけることができました。

 それから千穐楽のカーテンコールの蓉司。本編の展開からなる演出だと思っていたのですが、そうではなかったようで、ああ……となりました。

 
 
 
 
 
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 sweet poolのストーリーを一言で説明するとしたら、もっとも手に届きやすい部分にある表現は「重い」だと思います。わたしがこの作品を好きなのも、その重さゆえ、こんな経験をさせてくれたゲームは他にないことが理由だと思っていました。もちろんその気持ちは嘘じゃないし間違ってないけど、BLが好きだから、ダークでevilな展開が好きだから、だから好きになったんじゃないかと、作品のわかりやすい一面ばかりに目を向けて思考停止していたのかもしれない。櫻井さんが「立ち尽くしてしまった」「夕日の照明があまりにも綺麗過ぎて、」と仰っているのを見て、うまく言えないけど、わたしもあの夕日のスチルが綺麗だったからsweet poolが好きだったのかもしれないとハッとして涙が止まらなくなりました。とても複雑で大きな問題を概念的に、それでいて生々しく描いているから忘れてしまっていたけど、美しいものに刹那的に心が動くこと、そういう人間らしいことの大切さに気付いたからこの作品を好きだったのかもしれないと思いました。(そして19日夜の杉江さんの挨拶を思い出し……、本当にすてきな俳優さんたち、すてきなカンパニー)

 

 この状況下、最後までこの公演をおこなってくださったこと、本当に感謝でいっぱいです。舞台に対して好きという気持ちだけではうまくいかなくなって、それでもどうしても生で観たかった作品でした。劇場でたくさんの人の心が震えている空気を肌で感じて、舞台が、そしてもはや人間の生が愛おしく、尊く思えました。そう思わせてくれたのはこの作品だからだと思います。ずっと大好きです。演劇LOVE!