トロピカル墓場

好きなものは好きだからしょうがない!!

断念と憧憬(Zoomgalsについて)


www.youtube.com

 『imaginary』を読んで以来、編集長のゆっきゅんさん周辺の音楽活動をチェックしている。田島ハルコさんが参加しているZoomgalsの曲を聴きました。

 ラップのことは表面的な印象しかわからないけど、スキルや声質の個性がすごい。色々なタイプのギャルファッションをしていてめちゃめちゃかわいいんだけど、その記号性・キャラクター性より、人間一人ひとりが持っているrealな個性に強く惹かれた。「生きてるだけで状態異常」はよりわかりやすい。社会への反発、体調不良や希死念慮などを自分たちの「好き」でデコった言葉はかっこいい(例えばvalkneeさんのパート)。抱える不健康すらも歌っているのに、なぜか人間の肉体の可能性・希望みたいなものが見えてきた。


www.youtube.com

そして宮台真司ですよ。こういうこと言ってしまうの失礼かもですが、氏が登場することで、若くて華やかできれいでノリがいい女の子(あえてこういう書き方をしますよ)だけを内包する世界じゃなくなっていたのがとても良かった。

 いきなり自分語りになっちゃいますが、わたしは一時期、漫画「姫ギャルパラダイス」に影響を受けてギャルに憧れていました。姫ギャルパラダイスは、高校に居場所がないと感じているネガティブな主人公・姫子と、転校生の姫ギャル・とちおとめの交流から、コンプレックスを抱えた自分とどううまく付き合っていくかという骨子が見えてくるストーリーです。

ciao.shogakukan.co.jp

Zoomgals(特に「GALS」)を見て、歪に肥大した、自分の中に連綿と続くギャルへの思いを再び意識することとなりました。ギャルと言えば第一に、そのアイコニックなファッションが連想されるけど、明確にあこがれていた当時そのファッションを自分に還元する気は全然なかった。もちろん諸々の諦め(クソ田舎に住んでいますので……)もあったのだろうけど、今思うととちおとめ様のファッションよりマインドを真似したかったのでしょう。でもわたしはどうしても1人が好きだしルールを疑うことができないから、ギャルへのあこがれは、自分にないものを持つ女の子たちへの羨望と諦めでもありました。だからこそ、宮台真司(自分の中にもあるもの)を内包するrealな言葉からギャル性を感じたことにビビっと来た。宮台真司と体調不良がギャルとの共通言語だった。

 そして今出会えてよかったなとも思います!多分今の自分でなければ、きっと受け入れられなかったと思う。ギャルにあこがれるけどなれないことを含む、コンプレックスや自分の無能さ、自分や自分以外にかけてる呪いを自覚して(自覚してるだけでまだ苦しんでるけど)、自分と違う何かや誰かを許せなくても認めたり諦めたりできる年齢で知ったから、彼女たちを尊いと思えたのでしょう。

 さらに関係ない話になっちゃいますが、姫ギャルパラダイスの、ジェンダーを攪乱する感じにも惹かれていた。そういう意図が前提にあったかはわからない、いい意味での適当さが良かった。とちおとめ様はファッションを男装/女装と捉えてなくて、ただ自分の美を表現するために気分で使い分けており、一人称はオレだし肉体も精神も男として姫子を好きになる。わたしがとちおとめ様=男女の恋愛を扱う少女漫画に登場する、男の娘でも女装者でもないギャルの男の子に感じたときめきは、多分どこかでRejet作品の男を好きな気持ちにも通じていると思っています。Rejet作品、例えばヒロインを性差による力で征服しようとするようなキャラのビジュアルが中性的だったり、少年だったりする。面白いとずっと思っています。面白いし自分にないものを持つ彼らにギャルに対する羨望と同じ感情を抱いている……(そして諦めている)。

 ギャルの話からRejetに着地するの何?今年もよろしくお願いします。