本日から 「AceWeek」@aceweek が始まります!
— Ace Week in JAPAN (@AceWeekinJAPAN) 2023年10月21日
今年は22日〜28日になります!
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書いたり消したりを繰り返していたら過ぎてしまったけど、2023年のAceweekによせて、現在アロマンティック・アセクシャルを自認するわたしのきわめて個人的な語りをブログに書こうと思う。
9月に本と喫茶 サッフォーというブックカフェで『A is OK.』というZINEを購入した。サッフォーはフェミニズム/ジェンダー/福祉を中心に選書しているお店で、開店を知って初めて足を運んだ際に見つけた。まえがきに、このようなことが書いてある。
自分に近い属性の、極めて身近でありふれた物語がどうしても欲しかった。それから、無いのならば自分で書くしかない!やらねば!という使命感に駆られて文章を書き始めた。
わたしがサッフォーで『A is OK.』の表紙を見た時に感じた感覚は、まさにここには物語があるかもしれない、というものだった。
ZINEを読んだ感想は、「わかる!」とか「あるある!」みたいにはしゃいだものではなくて、それがAスペクトラムの中に存在するのは他者である、ということを感じさせ、嬉しくなった。
その感覚ぶん空いたスペースがあることを自覚してから10年くらい生きてきたけど、それとは無関係に自分の人生が好きではなくて、経験したくなかったこともたくさんある。『A is OK.』のように自分のセクシュアリティを意識してからの人生について、自伝的な語りは今のわたしにはできない。
最近よく考えていることに恋愛を題材としたフィクションに対するAスペクトラムである自分の向き合い方というのがあって、自分しか理解できないかもしれないそれについて語ろうとしていたけど、今のわたしから出てくる言葉が本当に誰も傷つけないもので、Aro/Aceへの悲観的なレッテル貼りの再生産にならないものになっているか?と恐れ、ためらい、それも今のわたしにはできない、と思ってしまった。
結局、Aro/Aceを自認するわたしの好きなコンテンツにまつわる1日の日記を書くことにした。
10月28日に『アイドルマスターSideM』の声優さんが出演する8thライブに行った。SideMは元々ソーシャルゲームから始まったコンテンツだけど、今年すべてのゲームのサービスが終了してしまい、その状態になってからの初めての周年ライブだった。
SideMのゲームは、プレイヤーがプロデューサーとなって男性アイドルとともに仕事をする――というとてもわかりやすいものなんだけど、ゲームについて振り返ると、自分のセクシュアリティにフィットしているところがあったからサ終まで3000日も続けられていたのかもしれない、と思った。
まず、わたしはプレイヤー(がアイデンティフィケーションするキャラクター)とキャラクターの恋愛を題材としたゲームについては、好意的にプレイできる。その上でなお、以下の要素が自分のままでいられるストレスフリーに繋がっていたのかもしれない。
SideMはプロデューサー(プレイヤー)の性別が設定されていない。最近のソシャゲではプレイ前に男性/女性を選択できる作品もあるが、そういう選択肢もなかった。なので、作中でプロデューサーの性別に対する言及が一切ない。また、プレイヤー対キャラクターの恋愛要素も一切ない。恋愛要素がないのはアイドルマスターシリーズにおいて共通していることなのだが(いわゆるプレイボーイなキャラクターもいてプロデューサーに対しても距離の近さを発揮してくることもあるんだけど、仕事を通してフックがそれだけじゃなくなっていく姿が描かれている)、アイドルと過ごしていると上がるパラメータも「信頼度」という名前だ。
性別にかんする考え方では、ここでわたしが暫定的に名前をつけることが暴力的ではあるが、クロスドレッサーのキャラクターがいて、しかしそのキャラクターはそもそも「性別らしさ」という考え方に疑問を持っていて、自分らしく生きるためにそうしている(それがアイドルである)というのもある。
SideMのキャッチフレーズは「理由(ワケ)あってアイドル!」というもので、何らかの職業や社会的な立場にあったキャラクターがアイドルを目指す、という世界観である。すべてが後ろ向きな理由じゃなくても一度得たものや夢を手放したり、諦めたりした人たちの物語である。少なからずdepressiveなところからのスタートが好きだ。
違う楽しみ方、たとえば恋愛に読み替えたり、をしているプレイヤーを否定するものではなく自分の場合の話で、すべてが自分の中で100点をつけられるわけではないところももちろんあるが、そういうところによって付かず離れずな距離感で好きでいられたのかもしれない。
ライブはKアリーナという最近できた会場で、人の多さにこのコンテンツが広く受容されている嬉しさを感じた。ライブで印象的だったことを断片的に書こうと思う。
前説の時間にライブのテーマの「みんなで一緒に!」にちなんでコール&レスポンスの練習をする時間が設けられていて、声出し解禁になってからのライブをアイドルマスター関連で経験するのは初めてではなかったけど、本当に久しぶりでむしろ新鮮に感じる。前説を担当する山村賢とともに、声優さんの出演が叶わなかったキャラクターが映像で登場する。出演が叶わないというのは声優さんがハードスケジュールということなので、その中でこうして声の出演でもライブにかかわってくれたことが嬉しい。
傷を知ってたぶんよかった
この歌詞がすごくて、サイリウムを振れずに立ち尽くしそうになった。
Chance forever. Change for better.
わたしは前任の九十九一希役・徳武竜也さんがソロ曲のリベンジをしたい、と言っていたのが叶わないまま活動を引退されてしまったことが今でもずっとあって、だけど、比留間俊哉さんがアイドルマスターという大きなシリーズにかかわるようになったことはChance forever. だ、と思った。
MCの後、「みんなで歌おう!SideMメドレー」という初めてのコーナーが始まって、声出し解禁ライブとライブテーマにちなんで過去のユニット曲を会場にいる全員で歌おう!という企画だった。これがめちゃくちゃ楽しかった!演者がステージと花道をぐるぐる回って、自分のユニット曲の番になるとセンターステージで歌う。このお当番が入れ替わる感じが年末ライブっぽくて楽しい。
ブチ上がり曲、というイメージはあれど、自分のライブ参加歴的に実際アンセムになってる光景を目の当たりにするのは初めてで嬉しい。
センターステージに向かって間に合うように走って、すぐ「おいで」のこなれた決めポーズをするところが最高にカッコよかった。入れ替わりの流れの中でそれぞれユニットらしさがわかりやすく表れた曲でメリハリがつくのが見てて気持ちいい。
ダンサーさんのパフォーマンスタイムだと思っていたら途中から古畑恵介さんが混ざって登場してめちゃくちゃテンションが上がった。この曲はキャラクターの成長が感じられて本当に好きなので聞けて嬉しかった。
本人はうまくいかないところがあり悔しい、とMCでずっと言っていたけど、一番パフォーマンスが印象に残って、ライブ1日目のMVPだと思った。
全体的に声優さんがキャラクターらしく振る舞うことを心がけようとしていて、それ自体がファンサという感じだったので嬉しくなった。セクシュアリティに起因しているのかは知らないが、個人的にこの世で一番ピンとこないものはガチ恋営業的なものなので……わからないので……。
今年のAceWeekは、Aro/Aceのことと8thライブのことを考えながら過ごしていて、どっちもエースと読むことを思いついてこんな内容になり、AceWeek中に共有するといいこととして果たされているかわからないけれど、まずは自分のためにできることとして言葉を選んだつもりです。アロマンティック・アセクシャルのわたしが自分のままで楽しいと思えるものと一緒に生存している……というむすびにすると、推し活ってサイコー!みたいな話になりかねないのでまたグチャグチャになっていますが、このエントリを書こうと思った時から〆にしようとしていた大好きな曲の話をして終わります(最後に限って突然SideMではないです)。
心配ない生活なんてない なんてない
出来ることならみんなそうしたい そうしたい